『追憶*春待ち桜と出会いの夜』感想
2017年度スタートを飾った『追憶*春待ち桜と出会いの夜』。
本イベントはメインストーリーの一年前、Trckstarの四人がTrickstarになってゆく軌跡を描いています。
・「金星祭」というネーミングがもうヤバイ
まず金星祭というネーミング。
明けの明星と新入生をかけたにくい演出です。
この金星は、一年生全員を指していると同時に、中でも最も強く明星スバルを指していることは言うまでもありません。
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「まだ何者でもない俺たち」が「アイドル」になるまで
まだ日の目をみていない「モブ」状態のTrickstar。
本人たちもそれを自覚している。
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頻出単語「太陽」
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点と点を繋ぎあわせること
「点と点を繋ぎ合せる」ことが「占い」だという夏目は語ります。
あんスタにおける「星座を描くこと」と、「人との関係を結びそれによって何かが形作られ意味を成すこと、つまり物語をつむぐこと」と「アイドルになること」はほぼイコールの関係で結ばれており、夏目がのちに『迷い星*揺れる光、プレアデスの夜』でアイドルであることを選択することとも繋がるのではないでしょうか。
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まだ繋がる前の点と点が「ここだよ!」と叫んでいる図
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夢をみることは子供の特権なのだろうか?
高校生という子供と大人のはざま、まさに「少年漫画」の時期にいる、まだまだ成長過程の夢ノ咲のアイドルたち。
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夢見る権利
夢見ることは「物語の主人公の特権」。
主人公は奇跡を起こすことができる。
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一つ一つだった星が繋がりあって星座になる
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生まれたばかりの星
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「一番星」こと金星ってどんな星?
金星が宵の空にあるときは、日が沈んだ後どの星よりも先に輝き始め、明け方の空にあるときは最後まで輝き続けます。
太陽と月を除けば、金星より明るい天体は存在しません。
かつてその明るさと美しさは、ローマ神話に登場する美の女神ビーナスに例えられました。
ビーナスといえば、私の世代はセーラームーンのセーラービーナスを思い出します。
みなこちゃんも、セーラー戦士の中で誰よりも早く、一人でセーラー戦士として戦い続けていました。
金星がおもしろいのが、金星は地球からは真夜中には観測できないということ。
第2惑星である金星は地球のすぐ内側を回っているので、地球から見ると決して太陽の反対側に来ることはなく、そのため金星は明け方か夕方にしか見えず真夜中には観測できないそうです。
あんスタにおいて、スバルは一応主人公的ポジションで描かれていますが、他の個性豊かなキャラクターたちの中ではそう目立つキャラクターではありません。
物語が深まり他のキャラクターが描写されればされるほど、私なんかはうっかりとスバルのことを忘れがちですが、あんず(転校生)を夢ノ咲(あんさんぶるスターズ!)という物語に引きずり込んだ一番初めの一番強い光は紛れもなくスバルであり、そして最終的に物語をさらってゆくのもスバルなのではないかという気がします。
氷鷹北斗と北斗星
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公式による氷鷹北斗のパーソナリティ
いつも冷静沈着、努力家で完璧主義な性格。自分のペースを乱されることを嫌い、神経質なところもあるが普段は仲間思い。小さい頃に祖父母の家に預けられていた影響で、素朴なお菓子を好み、おばあちゃんの教えを大事にしている。演劇部の活動では部長の日々樹渉に振り回されており、後輩の真白友也をかばうことも多い。ユニット『Trickstar』に所属し、リーダーを務めている。メンバーとのぶつかり合いを隔てながら、着実に友情を育んでいる。
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北斗星の特徴
・春の夜に暗い夜空でひときわ輝く
→Trickstarが出会い集った「春」という季節
・その柄杓の柄の部分で時刻を知ることができる
→指針となる存在
少年漫画と主人公
Switchと相対するとき、Trickstarは必然的に大きな物語側に立つことになります。
Trickstarがfineを破りDDDで勝利した時点で、Trickstarは紛れもなく「革命という物語の主人公」となりました。
このときからTrickstarは、「天祥院英智の五奇人討伐による旧・革命」というこれまでの大きな物語すら飲み込んだ「より大きな物語」として君臨することになります。
この入れ子構造の対比があんスタのおもしろいところです。
ある方向から見た真実が、別方向から見たときもまた真実であるとは限りません。これはひとつの月の裏側です。
話を戻して、Trickstarがfineを破りDDDで勝利した時点で、Trickstarの立ち位置はその他大勢であったモブから一躍「物語の主人公」となりました。
こういった「主人公」を中心にした旧来の物語=少年漫画的世界観も「大きな物語」の一つの特徴です。
一方、Switchは「大きな物語からこぼれてしまった」ものたち、つまり明確に、大きな物語に対する「小さな物語」として、言わば「もうひとつのTrickstar」として描かれています。
逆先夏目と衣更真緒の対比も気になるところです。
本物の魔術が使える「職業魔法使い」である夏目と、魔法なんか使えないけれどスバルから「魔法使い」と呼ばれる真緒。
夏目は「本来自分がいるべき場所にまんまとおさまった」として真緒に一家言ある様子。
髪色も赤系統で似ていますね。
▼「大きな物語」についてはこちら
「大きな物語」と「小さな物語」
まずは、あんスタにおいて個人的に重要なポイントであると考える「大きな物語」と「小さな物語」について。
「大きな物語」は、フランスの哲学者、ジャン=フランソワ・リオタールが1979年刊行の『ポストモダンの条件』において提唱した言葉です。
今回はこれらの言葉を、社会学的見地と、物語論、二つの側面から見てゆきたいと思います。
大きな物語は例えば、人間は失楽園以来の原罪を負うが神の愛によって救済されるとする「キリスト教の物語」、労働者は搾取され貧窮へと向かうが階級闘争によって社会主義社会を実現し救われるとする「マルクス主義の物語」、貧しき社会も自由競争が神の見えざる手の導きによって経済活性化し社会の豊かさを向上していくという「資本主義の物語」などがよく挙げられます。
この物語において「個人」「自分自身」という主体性は死に「大衆」のような内実を伴わないものとして存在することとされ、その亡霊に対して語られるものが大きな物語であると言えるのではないでしょうか。
リオタールは、このような「大きな物語」に準拠していた時代を「モダン」、そしてそれに対する不信感が蔓延した時代を「ポストモダン」と呼んでいます。
あんスタのメインストーリーにおけるTrickstarによるfine討伐はまさにこの流れを組んでいるように思います。
一方、大きな物語に対して語られるのが、個々人の持つごく個人的な愛や感情に寄与した「小さな物語」です。
メインストーリー内でのTrickstarはまさにこの「小さな物語」の奇跡として描かれています。
そもそも、「再大多数の最大幸福*1」を掲げるfineが大きな物語側であること、「まだ何者でもない」Trickstarが小さな物語側であることは言うまでもありません。
英智は「再大多数の最大幸福」を心から願いそのために新骨注いで革命を行ったわけですが、メインストーリー以後に描かれる彼の姿を見ていると、英智が英智自身すら気づかないままに英智「個人」を見失っていたこと、もしくは英智が英智という個人の存在に初めて気がついたことは明らかです。
この大きな物語と小さな物語の構造は、あんスタの物語において姿を変えて何度も描かれています。
メインストーリー内で「小さな物語」として描かれたTrickstarは、他の場面では「大きな物語」として働きます。
例えばそれは、Switchとの関わり合いにおいて。
あんスタのキーワード
個人的に、あんスタにおいてこれは重要でないかなと思うポイントは以下の要素。
- 少年漫画と主人公
- 星座、太陽と月
- 大きな物語と小さな物語
- 異形としてのアイドル、アイドルになるということ
- 僕たちの「アンサンブル」
あんスタの魅力とは
自分があんスタのどんなところに魅力を感じているのか、改めて考えてみました。
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様々なレベルでの対比を重ねて世界観を描いている点
まずはじめに、様々なレベルでの対比を重ねて世界観を描いている点。
あんスタには様々な対比が描かれています。
メインストーリーでは、一言で言うとfineが悪、Trickstarが正義、というような対立構造が描かれています。
ユニット単位で言えば、TrickstarとSwitchもまた相対する存在として描かれています。
キャラクター単位でも多様な対比が展開されており、朔間凛月と衣更真緒の幼馴染コンビにおいて凛月が「月」、真緒が「太陽」として描かれているのもひとつの対比です。
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比喩が豊富でイマジネーションに富んでいる点
次に、比喩が豊富でイマジネーションに富んでいる点です。
あんスタは基本的にすべてのものを星座に例えています。
宇宙の塵でしかない星が集まり形を描くことで「星座」として認識され、広い夜空の中で名前をもらって輝くことができる。
これはもちろん世間と人間とアイドルグループの比喩ですよね。
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ハッピーエンドを超えて、それでも続く人生を見据えている点
最後に、ハッピーエンドを超えて、それでも続く人生を見据えている点です。
夢ノ咲学院のアイドルたち、少なくとも名前を与えられているキャラクター達にとって、この一年間は紛れもなくすばらしい「思い出」となる一年間でしょう。
物語というものは、始まりがあって終わりがあります。
あんスタは基本的にはあんずが転校してきてからの一年間を描いていますが、あんスタはこの一年の後のことにも多々言及しています。
あんスタの物語的に最大の山場である「SS」における真の「SSで人生が終わるわけじゃない」という台詞や、アイドル養成校である夢ノ咲卒業後の進路がアイドルのみにとどまらず多岐に渡っているという点、また、元トップアイドルが教師として夢の先にいるという点を鑑みても、日日日さんが「その後の人生」というものを意識していないことはありえないでしょう。
あんスタの物語のなかで「SS」は最高峰の舞台であり、メインストーリーではその舞台に立つたった一つの権利をめぐって争います。
しかしSSには他の数多のアイドルも出場し、夢ノ咲は数あるアイドル育成校のひとつでしかなく、学院を卒業するとその先には芸能界が広がっていて、また芸能界を引退しても各々の人生は続いてゆきます。
今後、今以上にアイドルとして大きく活躍してゆくキャラクターもいるでしょうし、なずなやレオなど、卒業後はアイドルとしてやってゆくのか分からないキャラクターもいます。
しかし、その誰もにとってこの一年間は「アイドルである」以前に「アイドルになった」一年間であったはずです。
主人公が勝利して「はいハッピーエンド」というわけでなく、キャラクターそれぞれの人生を、そしてその人生の中での輝かしい一時期としての一年間を描いている、という点があんスタの大きな魅力だと感じています。